●Tervitused
2011. aasta oli paljudele Jaapani elanikele meeldejääv, 11. märtsil toimus Suur Ida-Jaapani maavärin.
2011. aasta oli ka aasta, mil Tuneesias noormehe enesesüütamisest alguse saanud jasmiinirevolutsioon levis Liibüasse, Egiptusesse, Jordaaniasse, Süüriasse, Põhja-Aafrikasse ja Lähis-Idasse.
See suursündmus nõudis ka paljude inimeste elusid.
Saates "Hanako no Omuko-san" astuvad üles kaks noort inimest. "Hanako" on tüdruk, kes helistas poolkella, et öelda inimestele, et tabas tsunami. "Hanako emal" oli politsei poolt hävitamisel puu- ja juurvilju müüv müügilett. Noormees, kes pani end põlema. Nad kohtuvad hauataguses elus, "Netherworldis" ja on õnnelikult ühendatud.
Peamiselt Yamagatas on komme nimega "Mukasari Ema", kus vallalise mehe ja naise lahkumisel joonistatakse väljamõeldud peigmees ja pruut ning pühendatakse templile ema, mis kujutab lahkunu pulmatseremoonia stseeni.
See komme sündis vanemate usust, et abiellumine on inimese jaoks kõige hiilgavam ja soodsaim sündmus. Tegin selle töö leinava pere sooviga teha lahkunule võimalikult hea meel.
Alates 2011. aasta sündmustest tahaks seda teost esitada lootusega, et nii lahkunu kui ka elavad saavad üheskoos terveks ja saavad edasi liikuda.
● Tööst
2011. aastal. Unustamatu aasta araablastele ja jaapanlastele. Suur Ida-Jaapani maavärin.
Araabia kevad. See juhtus samal aastal. Bouazizi, noormees, kes süütas end Tuneesias. Minamisanriku tsunamis hukkunud naine Hanako. tahtmatult kokkuõnnetus. kaotatud elusid.
Noormehe teekond abikaasa otsinguil. Lugu, mis palvetab nende hinge eest.
■Algne lugu/stsenaarium: Makiko Sakurai
■ Töötajad / näitlejad
Makiko Sakurai (laulb, räägib)
Shiobara Niwa küla (Nagauta, jutuvestmine)
Kineya AsaYoshi (shamisen)
Junzo Tateiwa (Darbukka,rec)
Disain: vähenenud disainipartnerid
Tootmine/Operatsioon: Maripla
Kokeshi Joruri "Hanako Omuko-san" esituse kokkuvõte
Kuupäev ja kellaaeg 22. aprill (laupäev) Avatud 16:00 Algus 16:30 (Lõpeb kell 18:00)
●Toimumiskoht: Jiyugaoka Mardi Gras
●Asukoht: Libre B1, 5-29-10 Okusawa, Setagaya-ku, Tokyo
Hind: ettemaksuna 5000 jeeni, päeval 5500 jeeni (sisaldab lõunakarpi)
*Liikme eelisreservatsioon alates 26.01., üldmüük alates 31.01. Pilet Pia P kood: 517618
*Esimesed 20 broneeringu teinud inimest saavad Miyagi prefektuurist Matsushimast ostetud "Kokeshi söögipulgapuhkuse".
Päringud: Makiko no Kai sekretariaat (makikoclub2022@gmail.com/ 090-9236-0836)
● Broneerimine: Taotlusvormhttps://www.sakurai-makiko.com/blank-6/hanako
●Kokkuvõte
Tohokus (peamiselt Yamagatas) arvatakse, et need, kes surevad vallaliselt, on need, kes kõige rohkem kahetsevad. Seetõttu on kombeks pühendada votiivpilt fiktiivsest ämmast või väljamõeldud naisest ja surnud vallalisest inimesest, kes annab templile õnnitlussõnumi.
Ühel kevadel neelas Hanako tsunami alla ja suri. Öeldakse, et kui matta Yamadera tippu surnud inimese hammas, pääsed nii kiiresti kui võimalik paradiisi. Hanako vanemad ja tema noorem õde Sakura kannavad Hanako hambaid mägitemplisse üles.
Teel kohtab Hanako vanameest, kes müüb kokeshi-nukke. Vanaisa müüdud kokeshi nukkude seas oli ka Hanakokuriga sarnane Kokeshi nukk. Sakural polnud raha, kuid ta suutis kuidagi vanaisaga läbi rääkida ja vastutasuks Sakura juuksenõela eest kingiti talle üheks õhtuks kokeshi nukk, mis nägi välja täpselt nagu tema õde.
Kokeshi-nuku käes hoides jäi Sakura magama. Onee-chan Hanako ilmub tema unenäos ja läheb läände oma ema otsima. Siis kohtan ühte noormeest, kes seal suri. Noormees, kes süütas end 26-aastaselt, et protesteerida puu- ja juurviljaputkas vandaalitseva politsei vastu.
Need kaks rääkisid teineteise riikidest tuhat ja üks ööd ning otsustasid korraldada pulmatseremoonia. Inimesed kogunesid üksteisele rahvuslikke laule laulma ja sellest kujunes meeleolukas pidu.
Sakura eraldati oma vanematest ja magas üksi kokeshi nukuga.
Järgmisel hommikul läheb Sakura vanamehe juurde, kes kokeshi-nukke müüb, et need tagastada, kuid seal pole vanameest ega kokeshi-nukke, on vaid suur koobas. Sakura jättis kokeshi sinna ja lahkus Yamaderast.
Sel ööl näeb Sakura taas und Hanakost. Osutan kirsiõie juuksenõelale, mille kinkisin vanamehele, kes kandis Shiromukut. Kokeshi nukku, mida Sakura eile õhtul käes hoidis, hoiab nüüd õde.
“Tüdruk, kes saab oma naiselt kokeshi nuku, kohtub kindlasti hea naisega.
■原作・脚本:桜井真樹子
■スタッフ / キャスト
シテ(里の女・長髄彦):桜井真樹子
ワキ(忍性):吉松章
囃子方:濁朗(モデュラー)、HIKO(ドラム)、小森俊明(ピアノ)
衣装:中畠英代
デザイン:Diminish Design Partners
制作:マリプラ
■ハイパー能「長髄彦(ながすねひこ)」2024公演概要
●主催:桜樹座
●日時:2月11日(日・祝)「建国記念日」17:30開場18:00開演
●会場:七針
●場所:東京都中央区新川2丁目7−1 地下 オリエンタルビル
●料金:前売り3,000円、当日3,500円
●ご予約・お問合せ:七針( f@ftftftf.com )/まきこの会事務局 ( makikoclub2022@gmail.com )
●ご予約ページ:https://www.sakurai-makiko.com/blank-6/nagasunehiko-ticket
桜井 真樹子
声明・白拍子。龍笛を芝祐靖氏に、天台宗大原流声明を中山玄晋に師事。1997年より白拍子の復元を始め「鬢多々良」「水猿曲」「蓬莱山」「廻惚」など20年に渡り公演を続ける。2007年より創作能「マンハッタン翁」「橋の嫗」「岸辺の大臣」「沖縄平家物語」などを発表。2019年よりハイパー能「睡蓮」「投石」「菖蒲冠」「長髄彦」を発表。
吉松 章
謡・舞。能楽の謡や舞を用いた自作に出演、演出。「温羅」「パタヤの売春婦」「マッチ売りの少女」「浦嶋太郎」「四ツ谷マリヤ」「疫病神」、桜井真樹子の創作能に出演。能舞台やコンサートホール、ライブハウス、路上や河原等、ボーダーレスに活動中。海外では、ロシア、アルメニア、カザフスタン、韓国にて、謡と舞を使ったパフォーマンスで参加。
濁朗
東京で活動するミュージシャン。
ソロはリズムのあるノイズを演奏、バンドではキーボードを演奏。グルッペンリボン、トータルポンコツシステム、Zothique(録音)在籍。録音エンジニアとしても活動。
即狂ドラマーHIKO
皿洗いのアルバイトをし、散歩をし、絵を描き、たまに人前で暴走族、ダンサー、書道家、格闘家、画家、楽器奏者らを相方としてドラムを叩いて生きている。
小森 俊明
作曲家/ピアニスト。東京藝術大学作曲科を経て同大学院作曲専攻修了。音楽教育や芸術全般の執筆や翻訳も行う。日本交響楽振興財団作曲賞他入賞・入選多数。国内外各地で発表を行う。元桐朋学園大学講師。即興演奏集団「空観無為」ピアニスト、サイケデリック合奏団「邪宗門」シンセサイザー奏者他。共著7冊を持つ。
撮影:烏賀陽弘道
あらすじ
前シテ(第一部)
19歳の忍性(1217〜1303)が、往馬(いこま)の竹林寺を求め歩いている。忍性は、病に苦しむ人々の救済の活動する僧になろうと、南都の時代(奈良時代)に貧民を救済し、彼らとともに治水・架橋、そして東大寺の建設を行なった行基の墓参をして、菩薩行をしようと決心した。しかし道に迷い、往馬の社で里の女を見つけ、竹林寺への道を尋ねる。
里の女は、「なぜ知る人もない竹林寺を訪ねるのですか。ここは忘れ去られた里です。だからこそ行基さまは私たちに慈悲をかけてくださり、この里に眠って下さったのです。」と語り始めるが、その物語はさらに時を遡ってゆく(昔のことを語り出す)。
「私たちは、天皇に滅ぼされた悲しい民の末裔です。妹である私は、敵の饒速日命(にぎはやひのみこと)と政略結婚させられました。しかしその饒速日命が、裏切って私の兄、長髄彦(ながすねひこ)を殺したのです。私たちには、里の歌が残されています」と旋律に合わせて舞う。
「ここには、行基も、そしてさらに昔に亡くなった兄、長髄彦も私も眠っているのです」と。
アイ狂言(幕間)
ピアニストがアイ狂言(解説者)となり、国を滅ぼされたナバホ、ハワイ、パレスチナの人々の歌を紹介してゆく。
後シテ(第二部)
忍性はすでに亡き人となって登場。「私の遺言通り、私は行基の竹林寺に眠ることができた。この竹林寺を訪れる人は誰もいない。行基が貧しい人々を救済したことも、私が病に苦しむ人々とともに暮らしたことも、知る者は誰もいない。」
そこに長髄彦が現れる。
「ここは、大和と最後に戦いった邑(むら)として、権力者から虐げられてきた。私の子孫は天皇の子孫ではない。その彼らに慈悲をかけてくれた行基、忍性、律師の慈悲に御礼します。貧しく、苦しい日々を送るのは、私が大和に負けたからだ。」
人は、権力を掴んだ者、戦いに勝った者の歴史書しか作らない。彼らは、苦しむ人を救済する者、戦いに負けた者の物語を語ろうとはしない。
なぜなんだろう。忍性と長髄彦は語り合う。
「ゆえに、人は貧しい人々にも、負けて弱者となった人々にも目を向けようとはしない。」
忍性は、人々を救う者として、長髄彦は虐げる人々とともに戦うために、もう一度、目覚めようとする。しかし長髄彦は、自分の言葉も歌も忘れてしまった。そこに、国を失った人々パレスチナ、ナバホ、ハワイの歌声が聞こえてくる。彼らの言葉と歌に力を得て、長髄彦と忍性は、夜明けの光に再び生命を与えられた。長髄彦は往馬にまたがり、夜明けの光に向かって駆け抜けていった。
台本
<前シテ>
ワキ:行基(ぎょうき)の跡を求めんと、文殊菩薩の御心(みこころ)触れたしと、龍田の川を渡りては、往馬(いこま)の社(やしろ)に着きにけり。
これは、大和国(やまとのくに)、城下(しきのしも)より出でたる修行僧(そう)。菩薩行を成し遂げし、行基の墓に参らんと、竹林(ちくりん)の寺を訪ぬらん。
地謡:菜の畑(はた)を 越ゆるれば 龍田の川のせせらぎに 往馬(いこま)の山は 迫るらん。 柴の木群(こむら)の広(ひろ)ごれる 人はひとりなき 往馬(いこま)かな。鵯(ひよどり)の響(とよ)むれば 社の樹々を 見上げたり。
ワキ:思いもかけず 樹々の茂みの 深ければ 竹林の寺 見付け難し。あるいは、道に迷ふたるかもや。されど人ひとり 通わぬ山の道。もし人を 認むれば 誰(た)そにても みち尋ぬべし。
ワキ:のうのうそこの 里の女性(ひと)。竹林の寺は いづかたなり。往馬(いこま)の社(やしろ)の南と 聞き及びしが 深き木群(こむら)に われ迷ひたり。
シテ:なんでふ 竹林の寺 訪(とぶら)はせたし。
ワキ:文殊菩薩の化身たる 行基(ぎょうき)の眠る 斎(ゆ)つところ。われは修行の身にあれば 真の悟りを求めんと 菩薩の心を 求めたし。行基の墓前(ぼぜん)に 参(まひ)りては 菩薩行を勤めたし。
シテ:五百箇(いほつ)る桂に 籠(こも)る里。五百箇(いほつ)の磐(いわ)に囲(かく)む里。
他所人(よそびと)の 訪(とぶら)ひ憚(はばか)る 里なりし。
ワキ:されど 五百箇(いほつ)るものに 籠(こも)り囲(かく)りて 斎(ゆ)つたりて 聖者(せいじゃ)は 静かに眠るらん。
シテ:うつせみも静かなり。
ワキ:謎(なんぞ)の 多(おほ)き 里にやあらん
シテ:いにしへの伝えし いくさだちにや ありしかも。
地謡:往馬(いこま)山 龍田川 心安らぐ 陸地(ろくぢ)かな。人はここを都と 集まりて 渡りて来(きた)れる 人止(や)まず。
シテ:妹(いも)なるわれは 渡来(とらい)の首領(かしら)に娶(めと)られし。
地謡:もとより居たる里人と 移り住みたる人々の 静かな都に ありにけり。ある日更なる 他所(よそ)の党(たう) 往馬(いこま)の山を 越へたれば われらに弓矢を放ちたり。兄(このかみ) その長(おさ) 射抜きたり。
シテ:さらに日月(にちがつ)の 過ぎたれば 長(おさ)の弟(おとうと) ふたたび往馬(いこま)に 現(あらは)れり。夫(ひこぢ)は それと結びて 託(かこ)つれば 兄(このかみ)に 後(うし)ろ矢 引きて 殺(あや)めたり。
地謡:里人は 神武の最後の敵(かたき)と 卑(いや)しめられ。最(もっと)も貧(まど)し わびしき者の 住む里となり よりて 文殊菩薩は降(くだ)りたり。菩薩の化身は 御心(みこころ)を掛(か)く。行基(ぎょうき)菩薩は われらの里を 終のすみかと 眠りたり。
ワキ:いくさだちとは いつのことなりしか。
シテ:誰(た)そ知る人も なきいにしへの。そのいにしへの ありやなしかは 誰(た)そ知るらん。
「大和舞」
地謡:往馬(いこま)の秋に 桂(かつら)の落ち葉は 香り出づ。祭りに人は 集まりて 笛の音(ね) 心躍らせむ。いにしえの調べと知るか知らざるか。里の踊りは 王女(おうじょ)の舞か 誰(た)そ言ひ伝へられるべし。
<後シテ>
ワキ:竹林の揺らぐ葉先に月上(のぼ)り 揺らぐ葉先に月上り 文殊菩薩は 獅子に乗り 衆生に降(くだ)り 給(たも)ふなり。青蓮華(せいれんげ)、黄蓮華(おうれんげ)、白蓮華(はくれんげ)、菩薩の大悲は 光となりて 竹林の庭 照らしけり。
南無法上菩薩摩訶薩(なむほうじょうぼさつまかさつ)
一生を 菩薩行に終えたれば 行基(ぎょうき)のもとに 眠りたり。菩薩行(ぼさつぎょう) 励(はげ)みし僧も 今はなはし。律儀戒(りつぎかい)も 打ち忘れ 律師(りっし)はいづくに ゐるやらん。われは 律師 忍性(にんしょう)の 魄霊(はくれい)なり。
シテ:文殊の光に照らされて 懐かしの里 見留めたり 文殊の光に照らされて 懐かしの里 見留めたり。香(かぐわ)しき 桂(かつら)に 誘(いざの)ふ 月男(つきおとこ)。飢へに病に 苦しみて 貧(まど)しわびしき 後胤(こういん)と 共に暮らせし 律師(りっし)らよ。敬(ゐやま)ひ 拝(はひ)し 給(たも)ふなり。
われ いくさに 敗(やぶる)れば 民の行末(ゆくすゑ) いまだ因果(いんが)に 続きたり。そのゆゑ負(お)ふるは 長髄彦(ながすねひこ)にありにけり。
地謡:如何(いかで)か人は 菩薩の化身を 忘れたり。忘れぬは 徳人(とくにん)の 功(こう)を成したる 物語(ものがたり)。如何(いかで)か人は 遠(とほ)つ祖(おや)を おぼゆらぬ。おぼゆるは 勝ちたる人の 物語。今こそ 因果(いんが)の 紐解きて 弱き衆生の 魄霊(はくれい)を 文殊の光に照らさせむ。
ワキ:貧(まど)し飢(う)へし 苦しむ衆生に 世は増して われらは再び 目覚むべし。
シテ:わが民は 天皇(すめろぎ)の後胤(こういん)にあらず。
ワキ:菩薩の救いを 勧むべし
シテ:後ろ矢を 切り断つ剣を 抜きたれば
ワキ:振り捨つ里の 斎(ゆ)つ桂
シテ:深き緑に 薫り満つ
ワキ:竹林の触れ合う葉擦れを音楽にせむ
シテ: されど 往馬(いこま)の国のことの葉も
地謡:往馬の国の ことの葉も 歌も忘れて 心憂(う)し。わが民と 共に歌い 合わせたる その息吹 長髄彦の 魂魄に 与え入らせ 給(たま)へけり。
<ナバホの歌、ハワイの歌、パレスチナの歌>
「大和舞」
地謡:国を失ひたる民の 声 長髄彦に届きたり。魂魄に血は漲(みなぎ)りて 脈打ちて 暁の霧に その影 浮かばせり。律師らも 共に浮かびて 矢田山の 夜明けを待ちて 手を合はす。長髄彦の 右手に捉(と)らふ 剣(つるぎ)翳(かざ)せば 如来の光は 届(とづ)くなり。影は いよいよ 濃くなりて 長髄彦は 往馬(いこま)を跨(また)ぎ 長髄彦は 往馬(いこま)を跨(また)ぎ 現世(げんせ)の空(くう)を 駆け抜けり 現世(げんせ)の空(くう)を 駆け抜けり。
ナバホの歌:ペヨーテの歌
ハワイの歌:月光花の香
パレスチナの歌:ライラ・ライラ