鎌倉「鉢の木」の再現した、武士の晴れの膳「鎌倉武家祝い膳(時代食)」と、武士たちの愛した白拍子の歌舞(うたまい)。白拍子の静(しずか)が鶴岡八幡宮に奉納した楽人、鼓、銅拍子、笛が揃い、「鎌倉時代の鎌倉」の秋の宴を、完全再現いたします。
写真:鎌倉 鉢の木
桜井真樹子(白拍子)
龍笛を芝祐靖氏に、天台宗大原流声明を中山玄晋に師事。
1997年より白拍子の復元を始め、「鬢多々良(びんたたら)」「水猿曲(みずのえんきょく)」「蓬莱山(ほうらいざん)」「廻惚(かいこつ)」など、20年に渡り公演を続ける。2007年より創作能「マンハッタン翁」「橋の嫗」「岸辺の大臣」「沖縄平家物語」などを発表。2019年よりハイパー能「睡蓮」「投石」「菖蒲冠」「長髄彦」を発表する。
田中傳十郎(能管、篠笛)
東京都墨田区出身
16歳から望月長次郎に師事
国立劇場鳴物研修終了後、田中傳左衛門社中に所属し歌舞伎座で初舞台
2005年三代目田中傳十郎の名を許され、平成中村座海外公演にも参加するなど、数々の舞台を勤める
2021年東京2020オリンピック開会式にて演奏
邦楽囃子「桐筍會」主宰
望月左太寿郎(太鼓)
日本舞踊立花流二代目家元立花寿美造の長男として生まれ、現在は邦楽囃子演奏家として個人や様々なグループを通し邦楽の魅力を広める為に活動。舞踊家・立花寿美造としても活動
若獅子会として【創造する伝統賞】などを受賞
国立劇場主催「明日をになう新進の舞踊・邦楽鑑賞会」出演
望月左太助(銅拍子)
1996年東京都出身。幼少より和太鼓を始め邦楽囃子を望月左太郎、長唄を東音味見純に師事。東京藝術大学邦楽科卒業。浄観賞、安宅賞、アカンサス音楽賞を受賞。国内外の演奏・舞踊会、歌舞伎公演で活動する一方、NHK大河ドラマやEテレにも鳴物で出演。
●公演ついて
鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、前時代の政治の腐敗を教訓として「質素と倹約」の精神をもとに武家政治を勧めます。庶民と同じく武士は、玄米と獣肉(猪・鹿・兎・野鳥など)を日々の献立として、一日二回の食事を摂っていました。
これに対し、祝膳(晴れの膳)では、アワビ・ウニ・蛤の三大珍味を含めた魚肉の刺身を始めとした膳が整えられ、その豪華さから「大盤振舞(おおばんぶるまい)」という言葉が生まれます。
建物の完成を祝う建築儀礼、法事など、折に触れ、彼らは美味を楽しんでいました。
晴れの膳をさらに盛り上げるのが歌舞(うたまい)。当時、白拍子(しらびょうし)という男装をした女性の歌舞(うたまい)は、貴族趣味の音楽よりも凛々しく歌い舞い、さらに宮廷の歌よりも歌詞の内容もわかりやすく、旋律も歌い手の技量の高さを感じさせるものでした。
雅(みやび)な音楽から、修練を怠らず心を凛とさせる白拍子の歌舞へと変遷されてゆく鎌倉時代。白拍子は、武士たちの心をしっかりと掴み、ことあるごとに晴れの舞台に召し出されてゆきます。
■出演
白拍子:桜井真樹子
能管、篠笛:田中傳十郎
大鼓:望月左太寿郎
銅拍子:望月左太助
■特別公演「武家膳と白拍子」 公演概要
主催 まきこの会 / 後援 鎌倉鉢の木
●日時:10月13日(金)16:00開場16:30開演
●会場:鎌倉鉢の木
●住所:神奈川県鎌倉市山ノ内350(東慶寺・浄智寺そば)
●アクセス:https://www.hachinoki.co.jp/access.html(JR横須賀線 北鎌倉駅徒歩4分)
●料金:19,800円(まきこの会 会員18,000円)※本公演は無料特典の対象公演ではありません。
●お問合せ:まきこの会事務局(makikoclub2022@gmail.com / 090-9236-0836)
●ご予約:まきこの会チケットサイト
https://www.sakurai-makiko.com/blank-6/bukezenryoritoshirabyoshi
●チケットぴあ: Pコード521673
http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=2331773
■演目
1.平重衡と千手前
一ノ谷の戦いで源氏側に捕らえられた平重衡は、鎌倉に留め置かれた。重衡は奈良の興福寺、東大寺という南都の寺を焼き払い、多くの僧侶たちの命を奪ったことから、南都の衆徒たちから強い怨みを買っていた。彼らの強い要望で、源頼朝は平重衡を引き渡さなければならなくなった。重衡が斬首されることは間違いがなかった。重衡の怨みが頼朝の幕府を祟ることを恐れた頼朝は、武士として丁重に重衡をもてなすために宴を設けた。
そこで頼朝の抱えていた白拍子、千手前が重衡の最後の夜を歌舞でなぐさめる。
十悪と雖(いへ)どもなほ引摂(いんぜい)す
疾風の雲霧(うんむ)を披(ひら)くよりも甚(はなはだ)し
一念(いちねん)といへども必ず感応(かんおう)す
これを巨海(こかい)の涓露(けんろ)を納(い)るるに喩(たと)ふ
「どんな罪悪人も阿弥陀様はその罪をお許しなります」という歌舞に重衡の心は慰められた。そこで、千手前はさらに、「どのような死が待っていたとしても、阿弥陀様は、直ちに極楽浄土へとお連れくださる」と歌い舞いました。
弥陀の御国(みくに)にいざ清く 妙なりや おもしろし
池の上に 仏います そのかたち あな尊(とう)と
あわれ参りて 伏し拝まばや 誓い違えず 疾(と)く迎へとれ
平重衡はようやく盃(さかずき)を傾けお酒を飲まれる。そして千手前も重衡から盃を頂く。千手前は琴を弾き、それに応えて重衡が琵琶を奏する。重衡が「さらにもう一曲」と言われたので、千手前は白拍子をおもしろく歌い舞います。
一樹の陰に宿りあひ、同じ流れをむすぶも、みな是前世のちぎり
やがて夜が明け、宴は終わりを告げます。
2.源頼朝と静
鎌倉の武士の面子(めんつ)にかけて楽人を整える。工藤祐経(くどうすけつね)の鼓、梶原景時(じわらのかげとき)の銅拍子(鐘)、「松風」に笛を持つ畠山重忠(はたやまのしげただ)が囃子方を務めることになった。
静は三日三晩の雨を降らせた雨乞いの曲「水猿曲(みずのえんきょく)」を歌い舞います。
水のすぐれておぼゆるは、西天竺(さいてんじく)の白露地(はくろち)
尽浄許由(しむしょうこゆ)に 澄みわたる
昆明池(こんめいち)の水の色 行く末久しく澄むとかや
賢人の釣りを垂れしは 巌陵瀬(がんりょうらい)の河の水
しかし、その歌声は全ての空気を静が支配しようとする力を持っていて、工藤祐経は頼朝の前で失礼にあたると思い、「せめの鼓」を打って静の歌舞を終わらせてしまった。
静の歌舞を聴きに来た頼朝を始め、訪れた聴衆は残念がって、「もう一曲きかせろ」と言う。そこで静は心を決めて、頼朝の政権を怨む歌詞を歌舞に乗せた。
しづやしづ賎(しづ)のをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき
その意味が、頼朝だけにはわかった。激怒する頼朝を妻の雅子がとりなし、静はその場をおさめるために、もう一度舞台に上がり、最後の歌詞を歌い改めた。
吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の跡絶へにけり
最後に、本来ならば続くはずの「水猿曲」の後半部分を演奏します。
月影ながら洩るなるは 山田の筧の水とかや
蘆の下葉を閉ずるは 三島入江の氷水
春立つ空の若水は 汲むとも汲むとも 尽きもせじ尽きもせじ